小説「人生を変えたシマビト」第一章

2016.06.02

小説「人生を変えたシマビト」第一章

旧サイトで発信していた企画を、新しいサイトでも引き継いで紹介したいと思う。今回ご紹介する企画はシマビト。シマビトと聞いて、先日閉会したサミット開催地の伊勢志摩を連想したあなたは大正解。素晴らしいイマジネーションだよ。

あくまで名古屋スタジオの場所を起点にセカンドハウスを構えるなら志摩辺りだよねと、考えて企画した訳だから、この地方の方ならピンと来るかも。しかし、あえて「志摩」でも「島」でもどちらでも捉えられるようにカナ表記としたから沖縄ってイメージした方も多いと思う。

この企画のコンセプトは、これから書くフィクション小説もどきで全て表現される筈だが、なんせ僕には自分の気持ちをみんなに伝える文才があまり無い。だから、あまり自信は無いが、それでもこの小説を読んで何となく明るい光が見えたならば、あなたは多分、シマビトになるんじゃないかな。長いけど最後までお付き合い下さい。じゃあ

人生を変えたシマビト

夫、優作は市内の商社に勤めるサラリーマン。毎日、朝から夜中まで駆けずり回りながら慌ただしい業務をこなす日々を過ごしている。

海外との取引きの窓口が彼の担当という事もあってか、取引き相手の国がのんびりとランチを食べ終わった昼過ぎ、つまり日本時間だと21時ぐらいから頻繁に電話やメールが盛んになり、気がつけば夜中なんて当たり前の毎日が時差漬けのような生活だ。

10年前に同じ職場で、社長秘書をしていた男性社員憧れのマドンナの恵子さんと恋に落ち、出向先のイタリアで結婚式を挙げた。なんせ社長秘書と結婚する訳だから、男性社員はみんな口を揃えてこう言っていた。「これで彼の出世も終わった」と。しかし、意外にも社長は二人の結婚を大賛成し、今では事業部長というポジションを与えてもらって可愛がられている。奴は実力もあるが運も味方に付ける奴だと思った。

彼ら夫婦の間に愛里(あいり)ちゃんが産まれたのは彼らが日本に戻って直ぐだから、彼女は丁度9歳になる。どんどん女性らしくなり、嬉しいような寂しいような何となくスッキリしない心境を持ち始めたと、彼はよくランチを食べながら呟くように話しをしていた。その理由を尋ねたところ、父親として人生、いや生きる喜びを感じる何かを家族として共有できないかと悩んでいたからだ。

旧サイトに掲載していたシマビト

イメージ画像

 

丁度この頃、彼は、市内に土地を買って家を造る計画をしていた。多少の貯金はあるらしいが、それでもかなりの借金をしてローンを組まなければ難しく、それでも理想の暮らしが出来るのであれば我慢も出来るが、肝心の家の内容も彼がイタリアに駐在していたあの暮らしとはかけ離れた内容で、夢と現実のギャップに少々面倒臭くなっている様子はみんなの目からもハッキリと写った。

今、彼は当時の事をこう笑顔で話す。「あの時は、まあ他の人も同じような感じだし、右習え右という事で…妙に日本人的な考えだったんだよな。あの頃のことを思い出すと妙に恥ずかしいよ」と

そんな今では余裕の彼だが、それには訳がある。それは、人生で大きなキッカケがあったからだ。正しく言うと僕が奴にチャンスを与えたと言っても過言じゃない。僕も当時、家を考えていた。色々な建築設計事務所のサイトを見て、お気に入りの事務所のサイトを見るのが、何よりの気休めだった。

ある建築設計事務所のサイトで目に留まった短いフレーズ

 「金曜日の夜から月曜日の朝までは自然豊かな家に暮らす。ウィークデーは便利な都会で暮らす。それは決して贅沢なことじゃない。人間としての機能を保つ為の暮らし方である」

という内容を読んだ瞬間、頭の先から足の爪の先に電流が流れたと思うぐらい反応してしまった。当時の僕たち家族にとって必要な暮らし方だと直感した。

遅くなったが、僕の自己紹介がまだだったね。僕の名前は雅人。彼と同じ会社に勤める同期で、彼は海外から色々な商材を見つけて国内に持ってくる部署。僕は彼が足が棒のようになるぐらい駆け巡って探した商材を国内に販売する部署に居る。仕事でもプライベートでも二人三脚といった感じかな。ちなみに彼の奥さんの恵子さんの恋敵であったことは妻は知らない。

そんな関係だから、この設計事務所の企画の件は、すぐに彼の耳に入ったのは極々自然の流れだった。(第二章につづく)

リアス式海岸の美しい志摩