小説「人生を変えたシマビト」第三章

2016.06.08

小説「人生を変えたシマビト」第三章

まるで宝物を見つけて持ってきた少年のような表情のフェデリコは、まだ料理が片付けられていないテーブルの端にそっと資料らしきものを置いた。僕と優作は不思議そうな顔で資料とフェデリコを見比べながら、今か今かと始まるフェデリコの説明を息を飲んで待った。まるで、エサを前にお座りをする犬のような表情で。

興奮した表情のフェデリコはさっきまでの流暢な日本語はどこに行ったのかと思うぐらいのたどたどしい言葉で、「僕の宝物なんだこれは!あぁ…日本語で何と表現したらいいんだろう!…つまり La mia città! La mia anima! なんだ!」と叫ぶように言った。

直訳すると僕の故郷、僕の魂だが、″僕自身が僕そのものである理由なんだ″と言うようなぐらいに感じる雰囲気であり、封筒からはみ出した写真には幼少期のフェデリコらしき少年が写っていたのが見えた瞬間、正にそうだと確信した。

彼が僕達に見せたかった写真は、彼がイタリアに住んでいた子供の頃の思い出の写真ばかりだった。

イタリアでの彼の両親は、普段は便利な都市でアパートメントに暮らし、休日やバカンスは車で約90分のところにある、自然の多い海の町ジェノバに一家で移動 する二極化の暮らしをしていた。それを聞いて勘違いをしないで欲しいと、彼が力説したのは、何もお金持ちの特別な家庭だったかと言えばそうじゃない。イタ リアでは極々普通の中流階級の暮らしだと何度も何度も繰り返し言った。

一枚一枚、懐かしそうな表情で丁寧に説明してくれるフェデリコを見て、写真の内容よりも彼が過ごしたイタリアでの思い出の深さに感動した。

逆の立場で、僕がイタリア人に日本での子供の時の思い出の写真を彼と同じよう表情で同じようなエネルギーで話せるだろうか…残念ながらその自信は無い。最近 でこそ日本でも年間休日数は相当な日数になっているが、彼の故郷であるイタリアに比べればまだまだ少ない。しかし、仮にイタリア並に休みがあったとして も、それを有意義に過ごせるかと問われたならば、Yesと答える要素も、それを実践している日本人も僕の周りでは知らない。

彼は写真の説明を終える頃には、また流暢な日本語に戻ったようで、さっきまでの興奮した片言日本語を喋っていた同じ人だとは思えないぐらいの落ち着いた声で囁くように話しをしてきた。

海から見たフェデリコ家の別荘美しいジェノバの港少年時代のフェデリコ

「僕は幸せな人生だよ。でも僕の思い出話を聞いても二人には理解出来ないだろうね。 それはあなた達がその経験が無いから。でもあなたの子供に僕のような美しい思い出をプレゼントしたいなら、イタリアと同じようにすればいい。人生で必要な ものは、お金、時間、自由。しかし、そのバランスが上手く取れなかったらそれは全て上手くいかない。」

その言葉が、今の僕達にとって気持ち良い風が吹いたように、まるで優しく背中を押してくれているように感じ、二人ほぼ同時にこう呟いた。

「シマビトか…」(第四章につづく)