海辺で過ごす家


週末は家族でのんびり過ごすセカンドハウス

2020.04.25

海辺で過ごす家

 名古屋から高速道路を使って約2時間弱のところにある三重県志摩市。果てしなく太平洋に広がる海原、リアス式海岸特有の複雑に入り乱れた海岸線や小さな小島のある志摩市。

別荘として人気がある理由は、美しい風景や空気の綺麗さだけでは無く、普通の生活に困らないインフラの充実であると感じています。大型スーパー、コンビニ、銀行、郵便局などほとんどの生活施設は整っているので、定住型別荘としての利用が多いのも頷けます。

さて、今回のブログは以前にもブログ(https://www.icaa.jp/blog/55)にて記載した内容を少しリメイクしてご覧いただこうかと思います。何故、この時に「週末住宅」なのかと疑問を湧く方もいらっしゃると思います。実は、以前より取引のある志摩別荘仲介を多く手掛ける不動産会社の方と電話にて色々とお話をしていまして、新型コロナウィルスの影響で別荘用途の不動産の動きは相当弱くなっているのかとの質問に、「むしろ増えている」という衝撃の発言があり、その理由としては「都会の方が空気が綺麗で人混みのない田舎暮らしを求めている」という話でした。

当建築設計事務所は冒頭に申し上げたように、これまでに「志摩に暮らす」というテーマで色々な企画を行ってきました。週末志摩に暮らす人を「シマビト」という名称でコンパクトな住宅を企画したり、この不動産会社と土地+建物のセット企画をしたりと、とても志摩に思い入れが強く、今進行している「新型コロナウィルス」にてネガティブな情報ばかり社会に、「少しでも夢や希望を感じられるテーマの話を」と建築設計事務所としてお届けしたいと考え、ブログにてお伝えいたします。

とにかくこの状況を乗り越えましょう。

海のそばで暮らす(2016.7のブログより) 

この建築模型の写真は、かれこれ今から10年前の2006年に、海の近くの架空の敷地をこの計画地と見立てまして、真面目に考えたシンプルな別荘計画です。

とにかく海への憧れがとても強くて、海のそばで暮らしたい。波の音をづっと聞いていたい。心でいつも感じていたい・・・当時はそんな思いでいっぱいだったのを記憶しています。

僕の生まれは三重県津市というところで、三重県の県庁所在地とはいうものの、自然豊かな田舎です。学校の帰り道は川や池で釣りをしたり、入って遊んだり(それで足の裏を割れた瓶が刺さり大怪我もしましたが)近くの海で貝殻や流木を集めたり、ボーと海や空を眺めたりしている、そんな少年でした。

今でこそ話せますが、当時 大工の父親と僕とで夏休みの土曜日は決まって開催される「夜店」に出掛けたとき、親子そろって「ベトナムの方ですか?」とベトナムの方には相当失礼ではありますが、そう尋ねられた記憶は今でも鮮明に覚えております。つまり、それぐらい外で遊びほうけて真っ黒だったという話だけですが。

 話を戻しましょう。僕は脱線のプロ中のプロでして、お客様と設計打合せの大半は雑談と化してしまい、スタッフからよく怒られますが、いつも僕はこう言います。「この雑談の中に大きなプランのヒントが隠されている」と。実際は単なる雑談ですが。

また話がそれましたね。そう「海」です。

その憧れがついに実現化する時が、丁度このあたりの2006年にありました。三重県志摩市に小さな別荘を設けるのに相応しい敷地を購入しました。どの道から入っていいのか迷うぐらいの細い道。奥へ奥へ進んでも見えるのは道路いっぱいに多い茂った樹木と草だけ。しかし、それを抜けた瞬間、目に飛び込んでくるのはリアス式海岸特有の険しい岩・岩・岩。その岩にぶつかる波・波・波

海のまん前のフロント敷地(実際は更地があるので三番目ですが)から見える風景はキラキラ輝く大きな太平洋と、砂利の小さな砂浜と少し先の灯台だけ。実は、この浜では伊勢海老や鮑も潜れば採れるようで地元の漁師さんからは漁業権が無いので採るなと言われるほどの穴場です。

風景を言葉で表現するのが難しいので、例えるなら「どこかの映画会社の始まりの映像的な感じでしょうか。面倒なのでそう想像してください。

その敷地に週末だけ過ごす小さな別荘プランを計画しましたが、未だ納得できるプランが出来ません。時は14年が経ってしまい、当時40歳だった僕も50歳になるというのに。これから考えるプランはバリヤーフリーになるのでしょうかね。

ゆくゆくは自分で設計した海のそばの小さな家で、犬とのんびりと暮らす・・・そんな憧れをカタチに出来たら最高ですね。つたない文章を最後までお読みいただきありがとうございました。