安心と不安は紙一重

2016.06.13

安心と不安は紙一重

なんか偉い人の説教のようなタイトルになったが、実はひょんなきっかけで今年高校を卒業したばかりの18歳の男の子と何故か仲良くなり、一緒に飯を食べながら話をしている時にそう感じたからだ。

僕は50歳だから歳の差は32歳もある。親子みたいな歳だよね。だけど父親でも無ければ友達という関係でも無い。下手をすれば人生の先輩的な、説教めいた話しばかりをする関係になってしまいそう。それは自分的にキャラ的にも御免だよ。笑

そんな、これから社会に旅出ったばかりの子に、こんな僕が何の話しが出来るのかを色々と考えてはみたが、まるで出てこない。デザインやスケッチやブログの文章の方がスイスイと頭の中でよぎるのにね。

その子は多少だが僕の事を尊敬しているようだ。僕のこれまでの人生の話しを話せば話すほど、その尊敬はまるで宗教家の教祖を見るような目になる可能性もある。(ならんな)だから、あえて人生で頑張らなかった堕落しまくった想い出の話しをすることにした。が…あんまり彼にとっていい話しが出来なかったよ。

我武者羅に働きまくったが、その金は全てを車や洋服に消え、全く人生計画を立てなかった当時の18歳の話しや、人からの見え方ばかりを気にして自分というものを見失っていた時期の話しも、毎日が不安だらけであったが、そんな不安を解消しようと躍起になり色々な事にチャレンジをしたが、やればやる程 重なる失敗の話しも出来なかった。だからこのブログを読んでくれていると思って書く。

失敗だらけの日々を過ごす中、本当に自分がやりたい事を今しているのか疑問を持ち始めた。それが今の自分が自分であるスタートラインに立った瞬間だったと今はそう思う。既に25歳になっていたけど。

自分がやりたい仕事や生き方を社会に出た瞬間にわかるなんて事は無理だよね。親から敷かれたレールや何となく選んだ仕事を自分の人生だと、そう思って生きるというのもある。それに疑問を持たなければ全くもって素晴らしい人生を過ごすだろう。

僕はこれまで経験した少しの全てを捨て、建築という大きな世界で生きると決めてから最早、25年を迎えた。実は捨てたと思っていたが、全て役に立っているなんて人生って無駄なんか無いんだね。

こんな今となって言えることかも知れないが、スタートラインに立った瞬間の僕は、不安という気持ちは全く無く、なぜか安心という気持ちに変わっていた。

まだこれからで何もしていないうちから。夢の事を考えると、心が安らぐという意味で安心だったんだろう。基本ノーテンキという性格もあるし、異常なぐらいの自信家という事もあるけど。

さて、18歳の少年には、反面教師となる部分と見習って欲しい部分が交差する50歳の佐々木の話しだったと思うが、大事なのは人の話しよりも、自分を信じて自分を好きになる自分であり続ける事なんだよな。頼むから金だけには心を奪われない人生だけは歩んで欲しいね。

この少年に負けずに、僕も夢をみた自分になれるよう、これからも戦いはまだ続くだろう。

悩んだ時によく行く猫が洞池(名古屋市)Ghibliとゆっくり散歩北陸スタジオの前で

最後になるけど、家は3回目でようやく自分の思う家になると言われている。人生も3回やり直しが出来れば素晴らしい人生になる…そんな馬鹿な。家も人生も一回こっきり、その一回で全力を出し切るだけだよ。じゃあ