僕も火が好きだ。仕事場に暖炉があり、たまの来客や、独酌に活躍してくれる。軽井沢の暖炉は火がみえなかったが、僕は部屋を真っ暗にして、眼と耳とモルトで火と一緒になる。火の神髄を知ったのは、厳しい修行で知られる比叡山回峰行者の故・光永澄道大阿闍梨の元で、修行の真似事をしたときだった。
阿闍梨さんがお経を唱え、大護摩をたくそばで、僕も唱えていた。が、その熱さたるや、「火がきれい」なんて生易しいものではなく、顔もひりひり、つらく痛い時間だった。が、精進、というのは理にかなったことで、身体の塩分がぬけてくると、火ぶくれもおこさなくなる。日をおうごとに、火の熱さに和らぎ、お経の音や、お香の匂いと混ざって、同じ火が生き物のようになってきた。それからは快感の堂内で、外とは別世界、なにかが感じられる場だった。
お堂の中心はご本尊なのは言うまでもないが、僕は護摩壇の「火」なんだと思った。太古から火は穢れを祓い、清浄のシンボルである。和歌山県新宮市の西北に、熊野速玉大社の旧社地である神倉神社がある。毎年二月六日の晩、千四百年あまり続く御燈祭りがあり、僕は幾度かその輪に加わった。
夕刻になると、新宮市内は「上り子」と呼ばれる白装束に、帯縄の異様な井出達の男たちが松明をもち、どこからともなく現れる。彼らは各所にお参りして練り歩き、神倉山頂上のゴトビキ岩目指し登り始める。その数二千余り。
日が暮れると、ゴトビキ岩のたもとで火がおこされ、速玉大社による神事が厳かに行われた。大松明に浄火が移され、男たちは各自の松明に競って火をつけると、あたりはあっという間に火の海となり、僕の身体にも火の粉がふりかかってくる。
山全体が異常な興奮に包まれて、爆発寸前、最高潮に達すると、ゴトビキ岩の神域と、参道をわける結界にある鳥居の扉が開けられた。松明をかざした若者たちが、急な石段を我先にと駆け下り、早さを競い合う。一番手の男性は福男、輝いてみえる。なかには彼女から祝福に、得意げな男もいる。
山に籠った男たちは、火によって清められ、松明が炭となった参道を踏みしめることで、新たな生をうけたのだ。